私たちポシェットクラブの人物クロッキー(デッサン)が、故・長沢節のスタイルということは前回お話しました。
それは「デッサンは何かの下描きや、練習のためではなく、それ自体が一枚の絵画・芸術品」という考え方です。
人の形や陰影を、石膏デッサンのように機械的に写して「上手だね~」ということは、ポシェットクラブではやりません。
もちろん、一人ひとりがどう描くかは自由なんですが・・
人間の形をよく知った上で、何を省略・あるいは誇張すれば、紙の上では美しく見えるのか。
そのためには、素敵なウソを使って、人の身体をデフォルメすることが必要になってきます。
何か、おかしなことを言ったように見えるかもしれません。
そうです。
「人の体は、紙の上にそのまま写しても美しくない」
これがデッサンの前提です。
少しショッキングでしょうか。
でも、考えてみてください。
人間の体は、ギリシャ彫刻のように美しいでしょうか??
もちろんモデルの皆さんは、選りすぐりの素敵な方々ばかりです。
でも実存の身体には、そこから隔たるいろんな要因があります。
創作された美しさを真に受けて、「人間は絶対に美しいんだ!」と写実的に描いてみても、なぜかちっ
とも素敵に見えない。写し上手にはなっていくだろうけれど・・・。
ギリシャ彫刻のモデルがいたとしたら、実はギリシャ彫刻ほど美しくなかったんじゃないか??
紙の上の世界でも、人体を素敵に描くには、ウソが必要なんです。
「人体は美しくない」というのは、確かにキツイ事実です。絶望といってもいい。
でも、それでもあきらめないとき「じゃあ、どうやって美しくしていくか」という意識が生まれます。
そこが、創作の自由が生まれる場所だと思うのです。
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